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フランチャイズの歴史

日本のフランチャイズの歴史

日本でフランチャイズチェーンが誕生し、50年以上経ちました。

その歴史を振り返ってみますと、設立から10年で約50チェーン、店舗数 約1.5万店、売上高 約1500億円だったFC業界の規模も、50年後には約1200チェーン、店舗数約23万店、売上高 約21兆3000億円と驚くほどの成長をしています。

ここでは、フランチャイズの歴史と共に、その歴史の中で注目すべき企業をピックアップし、概要をお伝えしたいと思います。

 

【初期の歴史】

1963年 ㈱ダスキン「愛の店」(7月)、㈱不二家の洋菓子店がビジネス・フォーマット型

      フランチャイズ※1を導入。

1965年 ㈱白洋舎がFC1号店を出店(4月)。

1966年 養老乃瀧㈱(4月)、山田食品産業㈱「山田うどん」(7月)、㈱アートコーヒー

      (9月)、㈱スイートガーデン「タカラブネ」(10月)がFC1号店を出店。

1967年 ㈱ハチバン「8番ラーメン」(2月)、㈱どさん子(12月)がFC1号店を出店。

1970年 日本ケンタッキー・フライド・チキン㈱(11月)が直営1号店を開店。

1971年 ㈱ダスキン「ミスタードーナツ」(4月)、日本マクドナルド㈱(7月)が直営

      1号店を開店。

1972年 ㈱モスフードサービス「モスバーガー」が開店。

1973年 ㈱オレンジフードコート「ディッパーダン」、日本ケンタッキー・フライド・

      チキン㈱「ピザハット」が開店。 ㈱吉野家がFC1号店を出店。

1974年  B-R サーティワン アイスクリーム㈱、アールアンドケーフードサービス㈱

      「シェイキーズ」が開店。

      セブンイレブンがFC1号店を出店し、コンビニエンスストア※2が展開開始。

1975年 ㈱オートバックスセブン「オートバックス」がFC1号店を出店。

1976年 ㈱ほっかほっか亭が直営1号店を出店。

1977年 「どさん子」「小僧寿し」が1000店舗達成。

1978年 ㈱つぼ八がFC1号店を出店。

1980年 ㈱壱番屋「カレーハウスCoCo壱番屋」がFC1号店を出店。

1983年 ㈱アレフ「びっくりドンキー」がFC1号店を出店。

1986年 ㈱ベンチャーリンク設立(下記参照)。

 

※1.現在のフランチャイズのように商品・サービスの提供だけでなく、事業形態や営業

   方法そして経営ノウハウが一体となって本部から加盟店へ提供されるフランチャイズ

   のタイプのこと。

※2.1973年にファミリーマートやローソンが直営店を開店している。

 

株式会社ベンチャーリンク

個別にフランチャイズの歴史をひも解いてみたいと思います。

日本で最初にフランチャイズ支援ビジネスをはじめたのが株式会社ベンチャーリンクです。

全国の中小零細企業の活性化を目的に、信用金庫など全国180の地域金融機関と提携し、地域金融機関経由で約10万社の中小企業向けに経営情報の提供などを行いました。

中でも、ビジネス・リンク・パートナー(BLP)制度(月額5万円)では、1600社を会員とし、成長していきました。

提携したフランチャイズ本部に出資し、上場時のキャピタルゲインを得るというビジネスモデルや、加盟開発代行・SV代行などにより、フランチャイズビジネスを支援してきましたが、加盟開発代行時に勧誘を急ぎ、その後加盟店が出店できないなどで裁判が続き、提携解消が相次いぎました。

その後、業績不振になった上、2009年に資本・業務提携した日本振興銀行が民事再生法を適用し、資金調達が困難になり、上場廃止、そして倒産しました。

【歴史】
1986年 ㈱ベンチャーリンクを設立
1991年 サンマルクと業務提携
1995年 ガリバーインターナショナルと業務提携
1997年 タスコシステムと業務提携
1997年 レインズインターナショナルと業務提携
2001年 東証1部上場
2010年 持ち株会社制へ。社名を㈱C&I Holdingsに変更
2011年 上場廃止
2012年 倒産

 

ほっかほっか亭とほっともっと

「ほっかほっか亭」を展開するほっかほっか亭総本部(以後、「総本部」)を子会社化したハークスレイと、「ほっともっと」を展開するプレナスの間には長年にわたり、争ってきた歴史があります。
この両社は主に「商標問題」と「競業禁止問題」の2つの問題で争ってきました。

1)商標問題
まず両社が争うことのきっかけになったのは、ダイエーが経営危機に陥ったことです。
現在ハークスレイが有する総本部は、元々ダイエーグループの子会社でした。
しかし、1999年4月、ダイエーはフランチャイザーである「総本部」の株式44%と、東部エリアを統括する地域本部の「株式会社ほっかほっか亭」をプレナスに売却、そして吸収合併しました。
この時、「ほっかほっか亭」の商標権は株式会社ほっかほっか亭が所有していたため、吸収合併により、プレナスが取得しました。
その後プレナスは別会社である総本部に対し、商標使用料を請求しますが、総本部は独占的使用権を主張し、支払を拒否しました。
これにより、両社は商標問題を争うことになり、08年4月、商標権はプレナスにあるが、総本部にも無償で商標を使用する権利があることを認める判決を下しました。
この争いが発端となり、総本部は「ほっかほっか亭」の西日本エリアを統括するハークスレイに残りの株式を譲渡し、ハークスレイの子会社となりました。
ここから、プレナスVSハークスレイという図式が出来上がったのです。

2)競業禁止問題
その後、プレナスはフランチャイズ契約を解消し、08年5月、新しいブランド「ほっともっと」を立ち上げました。
しかし、総本部はフランチャイズ契約解消後の競業禁止条項に違反すると訴え、105億円の損害賠償を求めました。
その後の流れは下記のとおりです。
 1 審)プレナス勝訴⇒「離脱の原因は総本部にある」
 2 審)総本部勝訴 ⇒「離脱前に別ブランドをPRしたプレナス側に契約違反があった」
 最高裁)総本部勝訴 ⇒プレナスの10億9000万円の支払いが確定

 

両社にはこのような歴史があったのです。

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